メインコンテンツに移動
クロト 里吉 に投稿

私が【ドクターカー】を選んだ理由 -1/3-

領域別情報・医療情報

Torch~日本の希少疾患の課題解決を目指して~

Torch~日本の希少疾患の課題解決を目指して~
希少疾患白書動画シリーズ
患者さん向けコンテンツ
希少疾患エキスパートに聞く
Torch Webinar(収録)
疾患解説コンテンツ

Doc Mentary~医師が語る「この道を選んだ理由」~

Doc Mentary~医師が語る「この道を選んだ理由」~
私が【ドクターカー】を選んだ理由 -1/3-
私が【この町】を選んだ理由 -1/3-
私が【ドクターヘリ】を選んだ理由 -1/3-
私が【離島】を選んだ理由 -1/3-

診療・調剤報酬点数表

診療・調剤報酬点数表

Digi Hack〜医師がおすすめ!デジタルツールによる業務効率化の極意〜

Digi Hack〜医師がおすすめ!デジタルツールによる業務効率化の極意〜
〈スマート診療術1〉課題の洗い出しはDXの第⼀歩
〈特別編〉AIを活⽤した医療DXの実際
〈特別編〉⽣成AIを超えろ!: ⽇常の⼯夫から医療論⽂作成まで
〈特別編〉医師の働き⽅改⾰: ビジネスチャットを活⽤したワークシェア
〈特別編〉病院の⽇常業務における⽣成AI等デジタルツールの活⽤とその課題
〈生成AI攻略術1〉進化し続ける生成AIと求められるリテラシー
〈クリニックDX術1〉待ち時間5分!スタッフの残業なし!を実現
〈⽣成AI研究導⼊術1〉⽣成AIは研究着⼿の強い味⽅
〈チーム医療コミュニケーション術1〉アプリ活⽤で地域医療‧施設の課題に取り組む
〈アウトプット効率化術1〉進化を続ける生成AI
〈情報検索術1〉⽣成AIは医師の情報検索も⼤きく変える

Topi Medi ~5分でわかる医療トピックス~

Topi Medi ~5分でわかる医療トピックス~
日本成長戦略会議:「強い経済」の実現に向けて -1/2-
令和8年度診療報酬改定:全容とその狙い -1/2-
スーパーシティ・デジタル田園健康特区でみる未来 -1/2-
「診療報酬改定DX」:2026年度より本格的に始動 -1/2-
外国人患者さんの増加と医療費未払い問題 -1/2-
災害医療と防災対策:天災を振り返って -1/2-
リフィル処方箋で変わる診療現場 -1/2-
「健康・医療戦略」:世界最高水準の医療の提供へ -1/2-
女性の健康支援:取組を通じて社会活性化へ -1/2-
大阪・関西万博で描かれた日本のヘルスデザイン -1/2-
高額療養費制度:命と生活を守るセーフティネット -1/2-
「骨太の方針2025」:よりよい明日を迎えるために -1/2-
日本のデジタルヘルスの現在地と医療の未来 -1/2-
がん診療提供体制の未来図:命をつなぐために -1/2-
医療従事者のメンタルヘルス対策 -1/2-
2040年問題:少子高齢化が必然の未来で -1/2-
医療機関におけるサイバーセキュリティ対策 -1/2-
日本の医療安全対策の歩み -1/2-
日本の育児の今
地域医療構想:将来的な医療の需要と供給を見据えて
医療従事者の賃上げ状況の今
Society 5.0が目指す医療の未来
第8次医療計画:明日の医療に向けた取組
男女共同参画社会:令和モデルへの切り替え
画像(PC)
私が【ドクターカー】を選んだ理由

Episode 1 血が苦手だった医師、救命救急の最前線に立つ


救命救急の現場では、1分1秒が患者の生死や予後を左右します。医療技術の進歩により、早期からの治療介入で救える命は確実に増えつつあり、医師自らが患者のもとへ赴く病院前診療の重要性も高まっています。 

大阪府済生会千里病院 千里救命救急センターの澤野宏隆先生は、長年ドクターカーに乗務し、救命救急の最前線を支えてきた医師の1人です。しかし今回の取材で語られたのは、「もともと医師という職業に良いイメージを持っていなかった」「血を見るのが苦手で内科医を選んだ」という、意外な原点でした。 

澤野先生は、いつ、そしてなぜ「ドクターカー」という道を選んだのでしょうか――。

 

豊能医療圏最後の砦・千里救命救急センター


大阪府済生会千里病院 千里救命救急センターは、北摂地区4市2町(吹田市、豊中市、箕面市、池田市、豊能町、能勢町)からなる豊能医療圏の救急医療を担っています。1960年代以降、大阪府のベッドタウンとして発展してきた地域で、周辺には大規模マンションも多く、人口は約106万人に達します。高齢化が進むなか、とくに後期高齢者の増加に伴い救急医療の需要は年々高まっており、年間の救急出動件数は約6万件に上ります。

千里救命救急センターは1979年、日本初の独立型三次救急医療機関「大阪府立千里救命救急センター」として設立され、早くから先進的な取り組みを行ってきました。なかでも特筆すべきは、1993年に開始したドクターカーです。日本で初めて24時間365日体制で運用し、多くの重症患者を救ってきました。2003年には隣接する大阪府済生会千里病院へ管理運営が委託され、2006年に正式に合併して同病院の救急部門となっています。

現在、私は救命救急センターと初期臨床研修センターの業務を兼任し、多忙な日々を送っています。しかし、実は最初から救急医療を志していたわけではありません。血を見ることが苦手で、むしろ避けたいと思っていたほどです。人生の選択とは、振り返ると本当に不思議なものだと感じています。

画像(PC)
私が【ドクターカー】を選んだ理由
画像(SP)
私が【ドクターカー】を選んだ理由

「勉強よりもラグビー」だった医学生時代


私は大阪府八尾市で生まれ育ちました。父は自宅で診療所を営む開業医で、両親は私が医師となって跡を継ぐことを強く望んでいました。しかし私自身は、高校生まで医師という仕事にまったく魅力を感じていませんでした。興味があったのは天文学や歴史探求であり、できればそれらに関わる仕事に就きたいと考えていました。それでも最終的には、親の強い勧めに抗しきれず医学部を受験することになります。

大学に入学してからも、医学への興味はなかなか芽生えませんでした。授業への出席は最低限で、解剖実習にも積極的に取り組んだとはいえません。その一方で、情熱を注いでいたのがラグビーでした。朝から晩までグラウンドを走り、スクラムを組み、練習に明け暮れる日々。夜は仲間と飲み会、そのまま朝まで麻雀をするという生活でした。幸い、記憶力と要領だけは良かったため、試験前に最低限の勉強をして単位を取るという学生生活。今振り返れば、決して褒められた医学生ではなかったと思います。

 

卒業後は、先輩の勧めもあり、比較的血を見る機会の少ない大学病院の内科に入局しました。糖尿病・腎臓病・神経疾患といった慢性疾患の診療が中心で、完治を目指すというより悪化を防ぐ医療が主でした。慢性疾患の長期管理の重要性は理解しつつも、病態が劇的に改善する場面が少なく、どこか物足りなさを感じていたのも事実です。

医師2年目には、大学の関連病院へ3年間出向しました。この期間は、幅広い疾患と多様な医療に触れ、非常に充実した日々でした。糖尿病や腎臓病に加え、循環器疾患や消化器疾患の診療にも携わり、血液浄化療法、心臓カテーテル検査、腹部血管造影、消化管内視鏡などの手技を習得。内科医としての視野と技術を大きく広げることができた貴重な経験であり、この時期にご指導いただいた先生方には今も深く感謝しています。

その後、大学院に進学し、基礎研究と腎臓内科診療に従事しました。担当患者の急変に向き合うなかで、慢性疾患の管理と救急医療は決して切り離せるものではないことを痛感するようになりました。内科医としてより質の高い診療を行うためには、救急医療と集中治療を体系的に学ぶ必要がある――そう考えるようになり、次第に自分の進むべき道が明確になっていきました。

 

転機は医師9年目、救急の現場へ


2002年に大学院を修了し、救急医を目指すこととして研修先を探しました。当時、救急医学講座を有する大学はまだ限られており、本格的に救命救急を学ぶには、多くの重症患者を受け入れる第一線の施設で研鑽を積むべきだと考えました。そして、私は、医師9年目で千里救命救急センターに入職しました。この決断が、その後の医師人生を大きく変えることになります。この地でドクターカーと出会い、病院前から高度の医療行為を開始する救急医療の醍醐味と可能性を知りました。

救命救急センターには、交通事故や転落による重症外傷患者が昼夜を問わず搬送されてきます。しかし、内科医としてキャリアを積んできた私には、外傷診療や外科手術の経験がほとんどありませんでした。外科的手技に長けた同僚たちに囲まれ、さらに多職種が連携して動くチーム医療の現場にも慣れていなかったため、入職当初は戸惑うことばかりでした。

一方で、搬送されるのは外傷患者だけではありません。急性心筋梗塞、重症感染症、消化管出血、急性腎障害など、内科的知識と判断力が不可欠な病態も数多く存在します。重症患者の全身管理や集中治療において、これまで培ってきた内科医としての経験は大きな強みとなりました。

外傷診療の分野でも、かつては外科手術が中心であった臓器損傷に対し、カテーテルを用いたIVRが広く行われるようになっていました。心臓カテーテルや血管造影の経験を積んできた私にとって、この分野は自らの技術を最大限に生かせる新たな舞台であり、重症患者の救命に大きく貢献できることを実感するようになりました。

血を見ることに抵抗があった私も、多くの重症患者の診療を経験するうちに、自然と慣れていきました。私にとって救命救急は未知の世界でしたが、実際にはそれまで内科医として培ってきた知識や技術を存分に生かすことができる、自分に最も適した分野であることに気づいたのです。

 

出動現場での“失敗”が教えてくれたこと


入職して2か月後、私はドクターカーの乗務を開始しました。今でも鮮明に覚えているのが、北大阪急行電鉄桃山台駅で発生した人身事故です。電車の進入直前に女性がホームから飛び降りたとのことで、現場に到着したとき、傷病者は線路上に倒れていました。周囲には多くの人が集まり、「助けたれ!」「早く行ったれ!」という怒号が飛び交っていました。その声に押されるように、私は目の前の患者のことしか考えられなくなり、「すぐに行かなければ」と、無防備のままとっさに線路へ降りてしまいました。線路脇のレールには電流が走っていますから、これは大変危険な行為です。幸いにも感電することはなく、患者も軽傷で病院搬送することができました。しかしその後、鉄道職員からも上司からも厳しく叱責されました。

病院の中とは異なり、ドクターカーが出動する現場には、交通事故や火災などさまざまな危険が潜んでいます。ドクターカースタッフは迅速な医療提供を使命として現場に向かいますが、そのためにはまず自分たちの安全を確保することが絶対条件です。状況を冷静に見極め、慎重に行動しなければなりません。もし医療者自身が負傷すれば、結果として患者を救うこともできなくなってしまいます。私自身、経験不足ゆえに危険な判断をしてしまい、その失敗は今も強く心に刻まれています。

 

それからも、多いときには週に3日間ドクターカーに乗務し、1日に7~8件の出動をこなすこともありました。わずかな判断の遅れが患者の生死を左右することもあり、現場は常に緊張感に満ちています。こうした経験を重ねるなかで、医師が現場に向かう「病院前診療」の有用性を強く実感するとともに、救急指令室・救急隊・搬送先病院との連携の重要性を理解することができました。

そんな私の経験をもとに、次回は、都市部における救急医療の特徴や、あまり知られていない現場の実情など、ドクターカーのリアルをお話しします。

画像(PC)
出動現場での“失敗”が教えてくれたこと
画像(SP)
出動現場での“失敗”が教えてくれたこと

【会員限定】続きを読むにはログインが必要です。会員でない方はこちらから登録してください。パスワードをお忘れの方はこちらから再設定してください。

澤野 宏隆 先生

社会福祉法人 恩賜財団大阪府済生会千里病院 初期臨床研修センター センター長 千里救命救急センター 部長兼ICU室長

1994年に滋賀医科大学を卒業後、同大学附属病院第三内科に入局し、大学病院および関連病院において幅広い内科診療に従事。1998年に滋賀医科大学大学院へ進学し、基礎研究と臨床の両面に取り組む。内科医として培った経験を礎に、超急性期医療の実践を志し、2002年に大阪府立千里救命救急センターへ入職。2006年の大阪府済生会千里病院との統合後も、現在に至るまで救急医療の第一線で診療に従事している。とくにドクターカーの運用には長年にわたり深く関与し、全国有数の出動件数を支えるプレホスピタル医療体制の発展と質の向上に尽力してきた。

画像
澤野 宏隆 先生