私が【ドクターヘリ】を選んだ理由 -1/3-
Episode 1 「Dr.コトー」から「コード‧ブルー」へ
ードクターヘリとの出会い
宮崎県北部の広⼤な医療圏を⽀える宮崎県⽴延岡病院。その救命救急センター⻑であり、宮崎県におけるドクターヘリ導⼊の⽴役者の⼀⼈が、⾦丸勝弘先⽣です。もともとは、へき地の診療所で地域住⺠の暮らしを⽀える内科医を志していた⾦丸先⽣。そんな先⽣が、なぜ「空」に医療の可能性を求めるようになったのか。
第1回では、⼭間部医療が抱える構造的な課題と、⾦丸先⽣がドクターヘリと出会った原点について伺いました。
スタートは「⼭間のDr.コトー」
宮崎県⽴延岡病院1)は、24診療科‧399床を有する、宮崎県北部地域の急性期医療を担う中核病院です。延岡⻄⾅杵医療圏、⽇向⼊郷医療圏で、⼆次‧三次救急医療を⽀えています。
現在、私は当院で救命救急センター⻑と地域医療科部⻑を務めています。もし、医師になって間もない頃の⾃分に「25年後はこうなっている」と伝えたら、きっと驚くでしょう。当時の私は、へき地の診療所で内科医として地域を⽀えることこそが、⾃分の医師⼈⽣だと考えていたのですから。
1996年に⾃治医科⼤学を卒業後、初期研修を経て、修学資⾦返還免除義務年限のほとんどを、県北部の椎葉村、東郷町(現‧⽇向市⻄部地域)、⻄郷村(現‧美郷町中部地域)、北浦町(現‧延岡市北東部地域)の国⺠健康保険病院(北浦は診療所)で過ごしました。へき地医療を描いたテレビドラマ『Dr.コトー診療所』をご存じの⽅も多いでしょう。ドラマの舞台は離島でしたが、⼭間地で医療に携わっていた当時の私は、⾃分⾃⾝を「⼭間のDr.コトー」と、イメージを重ねていました。
赴任先はいずれも、その地域で唯⼀の医療機関。⼭を1つ2つ越えて往診に出ることも⽇常で、急患が出てもすぐに戻れないことも珍しくありません。消防⾮常備地区のため救急⾞はなく、重症患者さんに何かあれば、頼れるのはその場にいる医師だけでした。
輸⾎を依頼しても到着まで3時間。⾼次医療機関へ転院するとなれば、延岡まで⽚道1時間半、宮崎市内なら2時間半。医師1⼈で 当直する休⽇に転送に出れば、半⽇以上、地域が医師不在になる。そんな現実と向き合っていました。
そんな中で、私が志した専⾨が腎臓内科でした。初期研修先で出会った腎臓内科の先⽣の姿に、強く⼼を打たれたからです。その先⽣は、急性腎障害の⾎液浄化療法から糖尿病性腎症、周術期透析、⻑期透析に伴う合併症まで、「僕、診ますね」と⾃然に引き受ける⽅でした。専⾨に閉じこもらず、患者さんを丸ごと診る。その姿勢は、へき地医療に携わる医師の理想像そのものでした。
また、⾃治医科⼤学宮崎県19期⽣の私にとって、県内に腎臓を専⾨とする先輩がいなかったことも、この分野を志す後押しになりました。こうして⼊職5年⽬の研修で、⾃治医科⼤学腎臓内科‧透析科に在籍することになります。この選択が、のちにドクターヘリへとつながるとは、当時は想像もしていませんでした。

衝撃だった、防災救急ヘリでの患者搬送
修学資⾦返還免除義務年限が残り1年となった2004年、私は⻄郷村国⺠健康保険病院に赴任していました。院⻑は私とおなじ苗字の⾦丸吉昌先⽣。実はこの先⽣には、若い頃から「借り」がありました。
医師3年⽬、椎葉村赴任2カ⽉⽬の⽇曜⽇。当直していた私のもとに、橋ゲタの修理作業⾞が⾕底へ転落する事故の連絡が⼊りました。現場へ向かうと重症者が2⼈。どちらもその場では診られる状態ではありません。しかし、搬送⾞は1台しかありません。私は1⼈を⽇向へ搬送し、もう1⼈は諸塚村の先⽣に依頼して延岡へ向かってもらうことにしました。ただそうなると、椎葉村と諸塚村はいずれも医師不在となるのです。その状況は避けなければなりません。そこで、当時まったく⾯識のなかった⻄郷村の⾦丸院⻑に連絡し、「急患が出たら診ていただけないでしょうか」とお願いしました。返ってきたのは、「分かった、頑張って⾏って来い!」という快諾の⾔葉でした。
のちに、その⾦丸先⽣から「⻄郷村で透析を始める。透析科で研修してきたなら⼿伝ってくれないか?」と声をかけていただき、私は⼀も⼆もなく⻄郷村へ向かいました。
赴任後のある⽇、インフルエンザをきっかけに急激に状態が悪化した40代男性が来院しました。意識は朦朧、⾎圧は低下し、呼吸状態も不良。緊急を要する事態ですが、当時の病院には⼈⼯呼吸器がありません。最寄りの⾼度医療機関までは80〜90分。途中で⼼肺停⽌になるリスクは⾼く、実際に間に合わなかった経験も過去、⼀度ならずありました。
「お⽗さんは、ここじゃ助けられんよ。だから今から延岡に搬送するけど、途中で⼼臓⽌まってしまうかもしれん。どうするね?」と患者さんの奥さんに伝えると、奥さんは涙ながらに訴えました。
「今、旦那に死なれたら私1⼈でどう⼦どもを育てていったらいいか分からん。先⽣、希望があるなら連れて⾏ってほしい」
それなら…と腹をくくったときに思い出したのが、その2週間前に宮崎県に導⼊されたばかりの防災救急ヘリ「あおぞら」でした。当時、県内に消防機関のヘリが整備されていないのは宮崎県、佐賀県、沖縄県の3県だけでしたが、その宮崎県に導⼊されたのです。「消防関連のヘリのなかで⽇本で唯⼀『救急』と名の付くヘリで、救急救命⼠も乗ります。患者さんを運べます」という宣伝⽂句を信じて担当者に問い合わせたところ、⼆つ返事で出動が決定。陸路で80分以上かかる道のりを、「あおぞら」はたった8分で結びました。患者さんは無事に治療を受け、元の⽣活に戻ることができたのです。
へき地から医師をひっぺがさないために
この経験で、私は確信しました。へき地医療を守るには、航空医療が不可⽋だと。ただし、病院の医師が患者搬送に同乗すれば、地域医療に⽳があく現実は変わりません。⾏きはヘリで10分でも、戻りは⾞で2〜3時間。その間に、新たな患者さんが⽣まれるかもしれない。
「へき地から医師を『ひっぺがす』ようなことをしないためには、医師がヘリに乗って迎えに⾏く体制が必要だ。ならば、まず⾃分がそうなろう」と決意しました。
しかし、当時の私は内科医で、防災救急ヘリに乗るには、知識も技術も⾜りないことは明らかでした。そこで2006年6⽉、修学資⾦返還免除義務年限終了のタイミングで、ドクターヘリ出動件数全国最多を誇る⽇本医科⼤学千葉北総病院へ移り、救命救急を⼀から学ぶことにしたのです。
テレビドラマ『コード‧ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』の舞台にもなった千葉北総病院での⽇々は、刺激と学びに満ちた時間でした。厚⽣労働省のプロジェクトとして、救急救命⼠の処置範囲に関する研究にも携わることになります。
当初は1年間の予定でしたが、滞在は結果的に⻑期に及びました。この千葉での経験、そして宮崎にドクターヘリが誕⽣するまでの道のりについては、次回で詳しくお話しします。
1) 病院の特⾊. 宮崎県⽴延岡病院. (2025-12-25)
⾦丸 勝弘 先⽣
宮崎県⽴延岡病院
救命救急科 主任部⻑∕地域医療科 部⻑∕救命救急センター⻑
1996年、⾃治医科⼤学卒業後、県⽴宮崎病院にて初期研修。1998年より椎葉村、東郷町の国⺠健康保険病院 内科勤務を経て2000年、⾃治医科⼤学附属病院腎臓内科‧透析科。2001年より椎葉村、東郷町、北浦、⻄郷村の国⺠健康保険病院‧診療所で内科医として地域医療に従事。2005年、県⽴宮崎病院 腎臓内科勤務の後、2006年より⽇本医科⼤学千葉北総病院の救命救急センターにて救命救急を学び、2011年、宮崎⼤学医学部附属病院 救急部に赴任し、救命救急センター設⽴とドクターヘリ導⼊の主軸として活動。2022年より県⽴延岡病院に移り、県北の救急医療のさらなる強化に挑んでいる。